今日は渋谷にある映画館、シアター・イメージフォーラムまで映画『新ドイツ零年』を観に行ってきました!
映画も初見だし、映画館も初めて行く映画館です。
『新』じゃない『ドイツ零年』もやっているのですが、今日はゴダールの方にします(もう片方はロッセリーニ)。
今日もすごくいい天気。地元はやはり人が少なくていい気分。
映画館のアクセス・ページでは、渋谷駅の東口で出てねとありましたが、あえてスクランブル交差点口で降りましたけど、よく映像で見るほど人がいなかった気がします。


映画館は人通りのなくなった区画にありました。渋谷で降りるなんて、ん十年ぶりなのですけど、駅前を外れたら意外と閑散としてるんですね。
映画館へはGoogleマップを見ながら、スムーズに到着できました。
実は二日前にオンラインでチケットを取っていたのですが、スマホのキャリアメールを登録したのが良くなかったのか、完了メールが届かなかったんですよね、、、
なので昨日劇場に電話して、「完了メールが届かなかったんですけど、、、行ってもいいですか?」って聞いてみましたw そしたら電話番号を聞かれて、予約番号を教えてくれました。
電話が大嫌いで、普段「電話なぞこの世からなくなってしまえばいい」と思っているコミュ障でも、やれば出来ます。
で、窓口で予約番号を伝えて発券してもらったわけですけど、このシアター・イメージフォーラムなる映画館、入った瞬間から気に入りました!(建物の写真撮るの忘れました)
小さくて、コンクリート打ちっぱなしで、受付の真向かいに意味不明な階段があって(上に行かれないんですよ)、その階段に映画のチラシがたくさん置いてあるんです。
壁には一面、映画のポスターが貼ってあって、「映画好きしか来ません!」って叫んでるみたいな映画館。
何がいいって、しゃらくさいシネマコンプレックスとは真逆の思想が感じられるところがいいですね。どうでもいい飲み物とか、どうでもいいポップコーンとか、どうでもいいチュロスとか、そういうのが一切ない。ガキは来るな、というわけです(と、私は思ったわけです)。
いつの頃からか、映画館が軒並みシネコン化してしまい、すっかり映画館から足が遠のき、最近はもう諦めていましたけど、ちゃんとやってるところはやってるんですね。
予告編を見ていても、大ヒットしそうな映画は一切かけないぜ!みたいなラインナップで、資本主義に抗う姿勢、支持します!!!

上の写真、ポスターが逆さまですけど、間違いではありません。
今回は、ロベルト・ロッセリーニが1948年に制作した『ドイツ零年』と、ゴダールが1991年に監督した『新ドイツ零年』を、『2つのゼロ年』としてリバイバル公開してくれる企画なので、ポスターが ”ふたつでひとつ” になってるんですね。
私は今日はゴダールの『新ドイツ零年』を見に来たので、逆さまにしてみました(青い方が『新ドイツ零年』なのです)。
お客さんは20人くらいかな。イイ感じに空いてました。
それにしてもさすがゴダール、意味がさっぱり分かんないの笑ww
もちろん予想していたので、一応ウィキペディアであらすじ読んでから行ったのに、それでもさっぱり分かんない笑
じゃあつまらないのかと言えばそうじゃなくて、食い入るように見て、そしてやっぱり面白いんですよねええ。ゴダールって、不思議。
私はゴダールは、「考えるな!感じろ!」系の映画だと思っていて、訳なんか分からなくても面白い映画監督の代表だと思ってるんですよね、、、
これは私の勝手なゴダール論なんですが、私はゴダール映画の面白さは、彼の頭の中の、文学からアートから映画からサブカルから何から何までの知識の断片を、そのまま出してくるところだと思ってるんですよね。
普通は誰かに何かを伝えようとしたら、大抵は筋道を立てるわけです。それが出来ないと、誰も話を聞いてくれませんもん。
でも普通、人間なんて誰だってそんなに頭の中や行動が整理されてるわけじゃないじゃないですか。みんな矛盾してるし、支離滅裂なことをやってるわけです。
例えば、私だって、今日映画を見に行くという行為だけでも、行きはPet Shop Boysの曲を聴きながら歩き、電車の中ではこの前買った本『図説 拷問全書』を読みながら映画館へ向かい、映画はベルリンの壁崩壊後のドイツを描いた『新ドイツ零年』を見て、帰りはまた『図説 拷問全書』を読みながら帰ってるわけです。
もうめちゃめちゃですよ笑 一貫性なんか、全然ないわけです。
でも、そのうちのどれかを誰かに話して聞かせようとしたら、その中のひとつをチョイスして、ちゃんと一貫性のある感じにして話をするわけです。
でも、ゴダールはそういうことをしないんですよねー笑 してくれないんですよ。
Pet Shop Boysも『図説 拷問全書』も『新ドイツ零年』も、全部断片として観客に出しちゃう。
しかもその知識の断片のレベルが高いから、余計に意味が分からない笑
例えば、映画の中でドアマンが出てきて、最後の人がどうのこうのと言っているシーンがあって、この最後の人という字幕にクォーテーションマークをつけて、”最後の人” ってなってたんですけど、これは1924年のムルナウの映画『最後の人』のことなわけです。
そして実際、映画『最後の人』の映像も使われているんですけど、そんなのムルナウの映画を見てないと分からないわけです。
私は映画に関してはややマニアックで、ムルナウの『最後の人』は見ていたので、ドアマンが出てきて ”最後の人” とくれば、「あ、ムルナウだな」って分かるわけですけど、知らないって、普通。
私なぞはここしか分からなかったわけですけど、そんな風に博識ゴダールの頭の中のあらゆるジャンルの断片が、マニアックかつアカデミックなレベルで羅列されていくもんだから、普通の人じゃ訳が分からない。
でも、ものすごくセンスがいいから、意味なんか分からなくても見ていて面白がれちゃうんですよね。
ゴダール、恐るべしです。
・・・って、書いていても何を書いているのか分からないと思うのですが、私の隣に母子が座っていたんですけど、子供が小学生の男の子だったんです笑
「すげえな、母親」って思いましたね。
ゴダールをねえ、それも初期のゴダールならともかく、後期のゴダールに小学生を。
「英才教育なのかしら」とも思いましたし、「うらやましい」とも思いました。
それにしてもこのシアター・イメージフォーラムは、予告編で扱っていた映画も見たい映画ばっかりだったので、私的には常連を目指したいと思います!
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