でかけたとき日記

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紀伊國屋ホールに森田剛主演の芝居『砂の女』を観に行きましたー!

 

今日は紀伊國屋ホールで森田剛主演の芝居、『砂の女』を見に行きます!

原作は安部公房の傑作『砂の女』。安部公房作品は幾つか読んでいますが、『砂の女』が圧倒的に面白かったです。名作だと思う。

そうしたら奇しくも紀伊國屋ホールにかかるというので早速チケットをとり、楽しみにしていました。

先週には本を再読もして、準備万端整ってます!

 

『砂の女』を芝居でやると知ってすぐ、原作自体が演劇的なので、確かに芝居にぴったりだなと思いました。

『砂の女』は登場人物がほぼ2人だけ、いや、2人以外にも村の住民が何人か出てきますけど、話の中心はほとんど2人だけ、そしてほとんどのドラマが起こる舞台が、砂の穴の中の小屋だけということで、実に演劇的なんですね。

 

主人公の男は虫マニアで、珍しい虫を探して辺鄙な田舎にやってくる。たどり着いた村はまるで砂漠で、男は四方を砂に囲まれた穴の中の小屋に囚われてしまう。

小屋には女が一人いて、日々押し寄せてくる砂をかき出すだけの人生を送っている。男はそこから脱出しようとあがくが、どうしても上手くいかない。

最後は、男はその生活に馴染んでしまう、という話。

 

私はこの小説を読んで、人生だな、と、思った訳です。私たちの人生は、アリジゴクの底で砂をかきだすだけの二人の人生と、何も変わらないのではないかと。

だいぶショックですよ。安部公房は実に手厳しく、私達小市民の人生を皮肉り、大きな石を投げつけてきたんだと思いました。

読んでない人、ぜひ挑戦してみて欲しいです。安部公房作品の中では、かなり分かりやすい方だと思いますし。

 

芝居に話を戻しますが、この男を演じるのがV6の森田剛。私はジャニーズ・ファンではないのですが、森田剛は嫌いじゃないですね。若い頃から、自分がアイドルであることに関心がない、そんな感じに見えました。そういう佇まいが好ましいなと。

それにルックスもカワイ子ちゃんじゃないところがいいですね。小柄なのもいいと思います。

そんなわけで安部公房+森田剛という組み合わせは割と好意的に感じているので、かなり前向きです。では、行ってきます!

 

 

また来ました。紀伊国屋ホール。

 

『砂の女』ポスター


というわけで到着しました。本当は昼の部が良かったのですが、私が見たのは18:00開演の夜の部。

席が凄く良くて、I列の10、つまり前から9列目のど真ん中でした。素晴らしい席。

お客さんは9割方が女性で、大人女性から若い女性まで年齢幅が広めでしたね。多くの方が森田剛ファンなのかなと思いました。安部公房ファン、、、もいると思いますが。

 

舞台は、両脇と奥の三方が大きな灰色の布で覆われていて、砂の壁に囲まれている様子を表していて、上から長い縄梯子が下りています。

舞台には壁のない30cmくらいの高さの床と、右側には低めのタンス、ちゃぶ台、左側には石の洗面所(台所)と、大きな水がめ、そして部屋の向こう側にはやはり灰色の布が二枚かかっている。それくらいのセットです。

 

『砂の女』はおおむね砂の中の小屋が舞台なので、場面は変わらず時間だけが過ぎていくので場面転換はなし。その代わりに二枚の幕が左右から現れて舞台を隠し、それぞれの幕が反対側に消えていくことで、時間の経過を表す、そんな感じでした。


始まり方が割とインパクトがあって、スターウォーズみたいなフード付きのローブをまとった4人の男が暗闇の中から突如現れて、これから起こる不穏な空気を醸し出していました。掴みはオッケーという感じですね。

 

砂の中に住む女を演じた女優さんは、藤間爽子さんという方で、私は全く存じ上げないのですが、有名なのかな? ちゃんとした舞台女優という感じ。

森田剛も含め、みなセリフがちゃんと聞きやすくて、突発性難聴の既往がある私でもちゃんと聞き取れました。助かるー。

森田剛は、舞台の後ろから登場し、客席の通路を何度も何度も歩き回り、走り回る演出で、女性陣は嬉しかったんじゃないでしょうか。振り返って観ている女性たちの目がキラキラとハートになっていて、恋に落ちてる女性を何人も観ました。

 

赤いところをぐるぐる走ってました。赤丸が私の席。

 


特にJ列の人、ラッキーでしたね。森田剛がまさに目の前を、それも何度も行ったり来たり。私はI列で、たぶん普通に考えたらいい席なんですけど、なかなか後ろも振り向けず、今回ばかりはJ列より後ろの方がずっと楽しめたんじゃないでしょうか。

 

それはそうと、肝心の内容ですが、俳優陣に不満は全くないのですが、演出には疑問もありました。

というのも、原作は「男は」「男は」と三人称で進むのかと思いきや、主人公の男がずっと喋ってる感じなんですね。「男は」と言いながら、その筆で「おれは、おれは」と書くので、ほとんど一人称小説みたいな印象がある。

でも舞台はフード付きのローブをかぶった男たちが、男のことや男が考えていることを盛んに説明してくるんです。それも感情のないセリフ回しで。なのでなんだか地の文を聞かされている感じがする。

これが私にはちょっと馴染めなかったです。説明的過ぎて、森田剛演ずる男に感情移入ができなかった。

ずっと森田剛に喋らせればいいのに、、、男が頭の中で考えていることを声に出してしまっても、女がそれを聞いていないふりをすれば「あ、頭の中、心の中の声なんだな」って観客は分かるんだし。もちろん声が枯れるほどのセリフ量になるでしょうけど、芝居ですからね、声は枯れますよ。

そういう風に本を書けないのかなあ、と思いました。

 

それから、女のキャスティングなんですけど、藤間爽子さんが変に綺麗で、原作の女とはだいぶ違うと思いました。原作の女は、若いんですけど、決して魅力的な女ではないと思うんですね。

女だけでなく、原作はもう野性的といいますか、動物的なんですよね。よだれは垂らすは、目ヤニを拭うわ、汗だらけで、体中に砂がこびりついて、股や体の皺の部分にこびりついた砂をかきだすとか。簡単に言うと、汚い。

女との関係も、現代人が思うような小綺麗な感じじゃなくて、もっと生々しい、汗のにおいと垢のにおいと、男の本音がぐちゃぐちゃに混じり合って、エグイんですよ。昭和中期ですから。

でも舞台はそうは出来ないので、かなり綺麗な感じ。

彼女が小綺麗なのと、演出が小綺麗なせいで、うっかりすると二人の間に恋や愛が芽生えたんじゃないかと勘違いするような演出になってしまって、原作とはだいぶ印象が違いました。

まあ、令和ですからね、仕方ないんだと思うんですけど。

 

それから、”あいつ” のくだりは全カット。それとラストの衝撃も、舞台版はあまりうまくいっていなかったように思います。残念。

 

でも『砂の女』は今までにも多くの舞台版があるようですし、実は映画化もされていて、私はまだ見ていないので近いうちに見てみようと思ってます。

それで私の中の『砂の女』に一番近い作品を探して見るつもりです。