でかけたとき日記

すべては充実した老後のために!

新作映画『サンキュー、チャック』を観たので考察してみました!

 

今日は新作映画『サンキュー、チャック』と『プラダを着た悪魔2』を観に行ってきましたー。

前回出かけたのが4/12の芝居『メアリー・スチュアート』ということで、なんと半月以上どこにも出かけていません。

 

www.dekaketatoki.com

 

なぜならば、もともと女性7人でまわしていた仕事を3人でやることになってしまい、仕事が終わらなくて土日も出勤しているからです!  4/29の祝日は休んだのですが、疲れちゃって寝てました! 

私、事務職なのに、最近毎日2万歩以上歩いてるんですよ。おかしいでしょう。2万歩ってポスティングなみの歩数らしいですよ。これのどこが事務職なんでしょうか。

ま、そんなこんなでGWも5時間くらいずつ、ほぼ毎日出勤することに。ちっとも出かけられなくなって、ブログの記事を書くのもオロソカになってしまい、大変悲しんでいます。

ほんと悲しい。

 

でも一日くらいは休もうと思って、今日は映画を2本観てきました。『サンキュー、チャック』と『プラダを着た悪魔2』です。

特に『サンキュー、チャック』はスティーヴン・キング原作なので、公開されるのを楽しみにしてたんですよね(本は未読です)。

それで本当は昨日、昼の13時に仕事を終わらせて飛ぶように映画館へ向かい、『サンキュー、チャック』を観たのですが、これが結構難解で。

難解と言ってもよくある数学的難解さではなく、哲学的難解さなのかな? 作品のテーマや方向性が分かりづらくて、一回見ただけでは何を描こうとしているのかが呑み込めませんでした。

でも面白くないわけじゃないんです。なんだかよく分からないんだけど、感動的ですらある。傑作な気がする。でも良く分からない。これは一体、どういう映画なんだろう。もう一度見てみたい。もう一回見ないと感想をあげられない。

というわけで、今日は2度目の鑑賞です。2回見ての感想と考察ということになります。

 

ポスターです

 

映画は第一幕、第二幕、第三幕と3部に分かれているのですが、時系列が逆になっていて、第三幕から始まります。

 

映画がはじまってすぐ、アメリカではカリフォルニアがそっくり海中に沈んでしまう大災害が起こったらしく(わたしはここで、「スーパーマンのレックス・ルーサーじゃん」と思いました)、インターネットもつながらず、この世の終わりと考える人たちが行方不明になったり、駆け落ちしたり、銘々が最後の瞬間を生きようとしているようです。

でも『日本沈没』みたいに大災害が描かれるわけじゃないし、人々も大パニック!みたいにならないんですよ。人々は淡々と受け止めているようだし、絵的にはかなり静かな立ち上がりです。

でも起こっていることは宇宙規模の大災害で、カリフォルニア沈没にとどまらず、なんと北極星が消え、火星が消え、星々が消えていくというスケール感なのに、絵はただひたすら静かで、美しい。

そして映画の主人公チャックは、広告看板やTVCM、果ては街中の民家の窓という窓に緑色に光りつつ映し出されるという、なんだか不思議な登場の仕方をします。

キングはホラーの名手なので、やっぱりこの第三章はホラー的だと思いましたし、SF的でもあるような、哲学的でもあるような、謎めいた不思議な導入。

そして「ブツッ」となって、第二章が始まります。

 

第二幕に入り、ここで広告でしかなかったチャックの人生が描かれます。第二幕は大人チャックの物語。

この第二幕になると、静かで謎めいていた第三幕とは打って変わって、明るい雰囲気にガラッと変わります。

ビジネスマンのチャックは道端でドラムをたたく黒人女性のリズムに合わせてダンスを踊るのですが、「死んでいく宇宙」といった趣だった第三幕の暗さとは真逆の、生き生きと生命力と躍動感に溢れる演出で、なんだか希望を感じてぐっと込み上げてくるものがありましたね。感動的でした。

でも実はチャックの脳には腫瘍が出来ていて、まだ本人は気が付いていないのですが、まもなく死んでしまう体でした。

 

そして続く第一幕は、さらに時を遡って少年チャックの物語。こちらも希望に満ち満ちたシーンが続き、演じた少年のかわいらしさも相まって、すごく良かったです。

ダンスを教えてくれたお祖母ちゃん、ダンスのパートナーとなるアジア系の女の子、どちらも魅力的で印象的。

とはいえ、そこはスティーヴン・キング。少年チャックが育った家には開かずの部屋があり、お祖父ちゃんが「絶対に入ってはだめだ」と厳命するほどの秘密があります。

実はその開かずの間は未来が見える部屋で、お爺ちゃんはそこで何度も死に関する未来を見てきたのでした。

 

この部屋の秘密は何か、冒頭の第三幕が表す謎はなんなのか、この映画の主題はなんなのか。

結構難解だなと、私は思いました。

 

 

チラシ裏面

 

さて、ここからが考察です。

私はこの映画は、チラシに書いてあるような「感動のミステリー」だとか、「世界の終わりに明かされる、愛すべき贈り物」だとか、「愛と希望を描く感動のミステリー」だとか、「その39年間に、ありがとう」だとか、そんな風には全く思いませんでした。

これはそんな映画ではないと思います。

 

私はこの映画は、「チャックの生命が終わる時が世界の終わり」という哲学であり、パラレルなSFなのだと思いました。

私、子供の頃から思っていることがあって、今でもそうなんですけど、私が死んだあとも世界が続いているなんて、不思議で信じられないんですよね。

不思議じゃないですか?  私が死んだあとも、この宇宙が、この地球が、地球に生きる人々が、みんなが、私が死んだ後もこの世界が続いていくだなんて信じられない。私はそれが不思議で仕方がないんですね。

私が目をつぶれば世界は真っ暗で消えてなくなるわけで、死ねば尚のことです。私が死ねば、世界も同時になくなりますよ。

 

つまりこれは、思考の相対性理論みたいなものです。

私が死ねば、私にとっての世界も同時になくなる。私にとっての世界は、私が死んだら意味をなさなくなるわけで、私が死んだら私目線では皆さんも消えてなくなるわけです。すべてがなくなる。

 

この映画はまさにそういうことを描いていると思います。だからチャックが死んだ途端、宇宙も世界もすべてが消えてなくなったわけです。

「チャックの生命が終わる時が世界の終わり」、正確に言えば「チャックの生命が終わる時が、チャックにとっての世界の終わり」というわけです。

なので第一幕では、だんだん死んでいくチャックと共に、カリフォルニアが消え、星が消え、宇宙が消えていき、「ブツッ」と鳴って、それと同時に街の人たち(ここでは例えば黒人教師のマーティとか)も消えてなくなったわけです。

 

私めっちゃ分かる。

そう考えると、世界が消えていくというのにやけに静かだった第一幕の現実感のなさもうなずけます。それに有名人でもないのに看板広告になっていたり、街中の窓にチャックの映像が映し出されるのも、この世界の主人公はチャック本人に他ならないからですね。

 

そしてこれは人の数ほど同じことが起こっているわけです。

あなたが死ねば、私も同時に死んでいる。私を知る人が一人ひとり死ぬごとに、何度も何度も私は死んでいたし、これからも死ぬわけです。

宇宙は、生命は、無限のパラレルワールド。今この瞬間も、世界中で無数の宇宙が「ブツッ」と消えてなくなっているわけです。

私めっちゃ分かるなー。

 

もちろん別の主題もあって、例えばチャックは17歳という若さで、自分がかなり若くして病気で死ぬことを知ってしまったわけで、分かっていてその上で生きなくてはならない。

人は誰でも死ぬんだからみんな一緒じゃん、当たり前のことじゃん、と考えることもできますけど、そんな漠然とした死ではなく、かなり具体的な死ですからね。若ければ若いほど怖いと思いますね。理不尽ですし。チャックのお祖父ちゃんが言っていましたけど、「待っている時が一番辛い」というわけです。

そういう意味では映画のキャッチコピーにあるように、自分の死を知りながらも前向きに生きたチャック、ありがとう、感動した! みたいな感想も、ありと言えばありだと思います。

 

でもなあ、これだと割と分かりやすいテーマで、面白みもないし深みもない。

私はやっぱり、私が死ねば宇宙も死ぬのだという、そういう風に考えるのが好きですね。

 

だから原作も読んでみたいと思って帰りに本屋で原作を探したのですが、見つけられませんでした。Amazonで買おうと思います。

 

 

 

余談ですけど、チャックのお爺ちゃんをやった俳優、マーク・ハミルだったんですね。全く気が付きませんでした。

晩年になって、すごくいい味出すようになっていたんだなあ。

 

さ、明日も仕事です。時間が無いので、『プラダを着た悪魔2』の感想は明日あげようと思います。